静岡県のご先祖調べ

令制国の遠江国駿河国そして伊豆国に相当します。
伊豆国は、天武天皇9年(680)に駿河国の東部2郡を分割して設置されています。 遠江国駿河国の境は大井川になります。

戦国期以前の静岡県
 駿河国は、東を鎌倉のある相模国と接し、京と鎌倉を結ぶ東海道の再重要な国として扱われていました。室町幕府は、守護職に足利一門の今川氏を任じ、対鎌倉の最前線に位置付けました。
 南北朝期の駿河国は南朝方の勢力も存在しため、今川氏の勢力基盤はまだまだ脆弱でした。しかし南北朝の合一がなされる頃には、駿河国における今川氏の権力基盤が確立していきます。
 応仁の乱で東軍細川方についた今川氏は、西軍斯波氏と対立し、遠江国への侵攻を開始します。この頃から戦国大名化が顕著になります。
 今川氏親の代には分国法「今川仮名目録」を制定し、独自の領国支配を行い、駿府館を本拠に戦国大名化をとげます。
 そして今川義元の代に最盛期を迎えます。義元は三河・尾張国にまで進出し、東海一の戦国大名に成長します。 さらに天文23年(1554)には武田氏・北条氏と互いに婚姻関係を結んで甲相駿三国同盟を結成し、領国の安定的支配を確立していきます。 ここにいたり弱体化した足利将軍家の次代を担うのは今川氏であるといわれるほど、その権威を高めていきました。
 ところが永禄3年(1560)5月桶狭間の合戦で、織田氏の奇襲攻撃にあっけなく敗れ去ります。 跡を継いだ今川氏真に領国をまとめる力はなく、国人領主が次々離反し、義元の死から9年後の永禄12年(1569)氏真は駿河・遠江を追われ、戦国大名今川氏は滅亡しました。

 遠江国は、応永12年(1405)の応永の乱の功績により、幕府管領斯波義重が守護職に任じられると、斯波氏が1世紀近く遠江国守護になります。 しかし応仁の乱斯波氏が弱体化すると、領国は勢力を持つ守護代が支配し戦国大名化していきます。(越前朝倉氏・尾張織田氏)
 遠江国には駿河今川氏が侵攻し、国人領主はその支配体制下に組み込まれていきます。 その今川氏が滅ぶと、徳川家康が進出し領国化を目指します。 しかし甲斐武田氏が遠江国に触手を伸ばし、戦国最強と呼ばれた武田軍がたちまち遠江国を席巻します。 徳川氏は後退を余儀なくされますが、 武田信玄の死、そして天正3年(1575)の長篠の合戦の大勝により、徳川家康の遠江国支配が確立することになります。

 伊豆国は鎌倉のある相模国と接し、鎌倉時代は北条氏得宗の守護分国として、室町時代は鎌倉府に関連する人物が守護職に補任されました。 応安2年(1369)に上杉能憲が伊豆国守護になると、以降関東管領の山内上杉氏が相伝することになります。
 享徳3年(1454)関東管領上杉憲忠が対立する鎌倉公方足利成氏に謀殺されます。足利成氏は鎌倉を放棄し、下総国古河へ移ります。(古河公方)  対する幕府は長禄2年(1458)に将軍足利義政の弟足利政知を下向させ、伊豆国堀越(韮山町)に御所を置き、関東政治の中心とします。(堀越公方)
 明応2年(1493)伊勢盛時(後の北条早雲)堀越公方は滅ぼされ、伊豆国は早雲に支配されることになります。 相模国小田原城を奪った北条早雲は本拠地を小田原へ移し、韮山城を中心に伊豆国の支配が行われました。 その後、戦国大名に成長した後北条氏は、天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐で滅亡するまで、5代にわたり関東に君臨することになります。

静岡県の名字
 戦国期以前より勢力を振るった在地領主の一族を郡別にみてみましょう。
ただし名字の出自や由緒には諸説あり、すべては網羅できておりません。参考の一つにしてください。

 まずは遠江国です。
 引佐郡には、徳川四天王の一人となる藤原北家良門流の井伊氏が井伊荘に起こります。分出した諸氏は以下の通りです。
  赤佐・奥山・早田井・貫名・石野・田中・田沢・松田・井平・谷津・石岡・上野・
  伊世・岡・河井・中野
 敷智郡には、浜松荘の吉良氏、引馬城の飯尾氏が勢力を張ります。
 長上郡には、蒲神明宮の祀官・蒲氏があり、渡瀬・頼母木・大角・篠瀬・蒜田の諸氏が分出しています。 安間郷からは安間氏が起こります。
 山香郡には藤原南家工藤氏流の天野氏が勢力を振るい、長下郡には浅羽荘から浅羽氏が起こります。
 城飼郡には、土形郷から土方氏が起こり、入山・丹野・門屋・鷲塚・篠原・三沢の諸氏を分出しています。賀茂荘横地からは横地氏が出ます。 高天神城には小笠原氏がおり、のちに徳川家康に従います。
 榛原郡には、相良荘から藤原南家工藤氏流の相良氏が、勝間田荘からは勝間田(勝俣)氏が起こります。
 この他、以下の諸氏がみえます。
 藤原氏流・・・秋鹿・寺田・袴田・市野・加々爪・万年・石谷・天方・青山・近藤・
  細田・松風・広戸・伊達・門奈・川井
 清和源氏・・・高林・植村・戸塚

 次に駿河国です。
 藤原南家武智麻呂流の工藤氏の一族が繁栄します。分出した諸氏は以下の通りです。
  入江・原・橋爪・中庄・久野・船越・岡部・興津・大田・野辺・蒲原・池屋・
  地越・渋川・吉香  安倍郡には安東荘から安東氏、有度郡には鎌田氏が起こります。
 富士郡には浅間神社の大宮司富士氏の一族が繁栄します。分出した諸氏は以下の通りです。
  村松・上野・角田・田貫・米津・宮下・宇都・福地・大和田・田辺・半野・
  大石・関・大西・村山
 この他、富士郡には鮫島氏があります。
 駿河郡には、阿野荘の阿野氏や大岡荘の大岡氏が起こります。 藤原姓大森氏も繁栄し、菅沼・河合・神山・沓間・藤曲・鮎沢などの諸氏を分出しています。
 この他、以下の諸氏がみえます。
 藤原氏流・・・田中・朝比奈・矢部・藁科・井出・末高・竹尾・神尾・松木
 清和源氏・・・小泉
 桓武平氏・・・安西

 最後は伊豆国です。
 鎌倉に隣接する立地もあり、後世名を残した大族が現われます。
 駿河国と同様、藤原南家工藤氏の一族が繁栄します。分出した諸氏は以下の通りです。
  狩野・宇佐美・伊東・河津・八幡・天野・仁田
 鎌倉幕府執権として権勢を振るう桓武平氏北条氏は田方郡北条郷に起こり、江間氏横井氏などを分出しています。 北条得宗家の家宰となった長崎氏も伊豆国に起こっています。
 この他、田方郡には沢氏田代氏山木氏小坂氏三津氏があります。

 静岡県の苗字ベスト20位をあげると、以下の通りです。
1鈴木 2渡辺 3山本 4望月 5杉山 6佐藤 7伊藤 8山田 9加藤 10佐野
11中村 12大石 13高橋 14小林 15増田 16田中 17石川 18村松 19土屋 20山下

 東日本の苗字の代表格鈴木・佐藤が入り、西日本の代表格田中・山本・中村もランクインしています。
 静岡県は鈴木氏が最も多い県で、人口5%を占めています。2位の渡辺氏の3倍以上です。伊豆国江梨村に下向した鈴木繁伴に始まるといいます。
3位の山本氏は軍師山本勘助のルーツ(富士宮市山本)として知られています。4位の望月氏は長野県・山梨県からの流れを引いていると思われます。 5位の杉山氏は静岡市に多く、戦国時代に駿河国安倍川周辺で活躍した武士団安倍七騎の一人に杉山氏があります。

江戸時代の静岡県
 徳川家康は将軍職を徳川秀忠に譲ると、駿府に退き大御所政治を敷きます。 そして伊豆国・駿河国・遠江国には、幕府直轄領や譜代大名の藩領、旗本領が入り組んで配置されました。頻繁に藩主交代した譜代大名が多いです。
廃藩置県時に静岡県に存在した藩は以下の通りです。

藩名 城下町 主な藩主の変遷
浜松藩 浜松市 井上氏
掛川藩 掛川市 太田氏
横須賀藩 掛川市 西尾氏
相良藩 牧之原市 田沼氏
沼津藩 沼津市 水野氏
田中藩 藤枝市 本多氏
小島藩 静岡市 松平(滝脇)氏
伊豆国は幕府領が多く、韮山代官所が置かれました。韮山代官は江川氏が世襲しています。 藩領もありますが飛び地です。

 藩庁が置かれた城下町には、大名家の移動にともない家臣や町人、寺院も移動します。よって前の領地との関係も考える必要があります。
「江戸時代は武士」との伝承があれば、まずは藩士名簿である「分限帳」を確認することをお勧めします。詳しくは各藩の項を参照してください。

静岡県の家紋
 静岡県の使用家紋をみてみましょう。
『都道府県別姓氏家紋大事典』によると、静岡県の家紋ベスト10は次の通りです。
1位 片喰 2位 藤 3位 鷹の羽 4位 木瓜 5位 柏
6位 梅鉢 7位 蔦 8位 茗荷 9位 桐 10位 竹笹

 日本の十大家紋と比べると、沢瀉紋橘紋がランク外となり、かわりに竹笹紋梅鉢紋がランク入りしています。
 駿河今川氏は足利一族の二つ引両紋、足利氏族の関口氏・瀬名氏・蒲原氏も同じです。 藤原南家工藤氏の伊東氏・岡部氏・久野氏・原氏は木瓜紋系もしくは三つ巴紋の家紋を使用しています。 そして「徳川四天王」で知られる井伊氏は橘紋細平井桁です。

静岡県の寺院
 静岡県の寺院をみてみましょう。
『全国寺院名鑑』(全日本仏教会寺院名鑑刊行会)によると、静岡県の宗派別の割合は以下の通りです。
  遠江地方
(浜松・掛川)
駿河地方
(静岡・富士宮)
伊豆地方
(三島・伊東)
天台宗 1%以下 1%以下 1%以下
真言宗 4% 4% 4%
曹洞宗 56% 43% 30%
臨済宗 23% 17% 26%
浄土宗 4% 7% 10%
浄土真宗 3% 2% 3%
日蓮宗 7% 23% 23%
その他 2% 3% 3%
 静夫県全体を通して禅宗系の寺院が多くあり、少数派の臨済宗寺院が多いことが特徴的です。 一方他地域で多い真宗寺院が極端に少ないのも特徴的です。
 日蓮宗寺院の多さは総本山身延山久遠寺が近いこととも関係しているようです。

静岡県の神社
 遠江国一之宮は小国神社事任(ことのまま)八幡宮です。
 浜名湖の東、周智郡森町に鎮座する小国神社の主祭神は大己貴命(おおむなちのみこと)、大国主神とも呼ばれます。
 事任八幡宮は掛川市に鎮座し、己等乃麻知媛命 (ことのまちひめのみこと)を主祭神としています。

 駿河国一之宮は霊峰富士山を神体山とする富士山本宮浅間大社です。全国1300社の浅間大社の本社で富士宮市に鎮座しています。
富士山8合目からは境内地で、富士山頂には奥宮があります。  社伝によると、日本武尊が駿河国の賊徒を平定した後に、現在の山宮浅間神社に浅間大神を祀ったことに始まり、 大同元年(806)坂上田村麻呂が現在地に社殿を造営したといいます。
 主祭神は木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)です。
 大宮司は和邇部氏の末裔富士氏です。

 伊豆国一之宮は三島市に鎮座する三嶋大社です。三島が東海道の宿場町として発達したこともあり、東海道を往来する庶民からも篤く信仰されました。
 祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)です。2柱は三嶋大神(みしまのおおかみ)と総称されています。

※姓氏の出自や由緒には諸説あります。このサイトではすべてを網羅できておりません。
 参考の一つにしてください。
 また出自や由緒、来歴についての質問は受けかねます。ご了承ください。

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