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幕府領のご先祖調べ

 江戸時代、幕府の直轄領は御料御領(ごりょう)と呼ばれました。地方文書では公領公料公儀御料所と記されています。
 幕府領を天領と呼ぶことがあります。これは幕府領が明治新政府に返還されて「天朝の御料(御領)」となったことから、略語の天領が使われたことに始まるといいます。つまり明治期の用語です。
 幕府領に対して、大名領は領分、旗本領は知行所、天皇・上皇・女院の領地を禁裏御料、公家・宮家の領地を公家衆家領と呼びました。

幕府領の規模
 幕府領は、豊臣政権期の徳川家康の直轄地、その後の「関ヶ原の合戦」「大坂の陣」での没収地が土台となっています。そこに長崎・大坂などの重要都市や蝦夷地、佐渡金山などの鉱山が加わりました。
 慶長10年 幕領230~240万石/全国総石高2217万石余
 元禄10年代 幕領約400万石/全国総石高2578石余
 天保13年頃 幕領約420万石/全国総石高3055石余
「天保十三年全国石高内訳」(『吹塵録』所収)による全国類別石高
禁裏仙洞御料(天皇領など) 4万石余
幕府領 419万石余
大名領 2249万石余
寺社領 29万石余
旗本領(高家・交代寄合) 17万石余
公家領・旗本領(若年寄支配) 2249万石余

幕府領の支配
 幕府領の領地支配は勘定奉行の配下にある郡代・代官が支配します。つまり地方行政官です。
 郡代は10万石以上の幕府領を預り、代官は5万石程度を預かるとされますが、領地の広狭だけでなく格式の違いともいえます。 郡代の役高は400俵以上・布衣・躑躅の間席、代官の役高は150俵以上・御目見・焼火の間席であり、格式に違いがありました。※代官にも格式が高い者はいる。
 幕末期の郡代は4人、代官は41人です。
 郡代は以下の4つ、代官は「県別のご先祖調べ」を参照ください。
 関東郡代は徳川家康が関東へ入府し、伊奈忠次を関八州幕府直轄領約30万石を管轄する関東代官頭に任じたことに始まります。 以来伊奈氏関東代官頭の地位を世襲しました。寛政4年(1792)伊奈氏が改易されると、関東代官頭の権限は分割されあらたに関東郡代が設置されました。 文化3年(1806)廃止となり、関東取締出役などが引き継ぎましたが、元治元年(1864)幕末期の不穏な社会情勢に対応するため再設置されています。
 飛騨郡代は豊富な木材資源と鉱物資源を支配するため設置され、陣屋は高山(岐阜県高山市)に置かれました。
 幕府は東西を結ぶ要衝である美濃国と伊勢国桑名郡には小藩と幕府直轄領を置きました。ここを統轄するのが美濃郡代です。陣屋は笠松(笠松町)に置かれました。
 西国筋郡代は九州の幕府直轄領を統轄します。九州には島津氏・細川氏・鍋島氏・黒田氏という外様雄藩が多く、長崎奉行と協力して九州諸藩の動静を監視する役目もありました。 陣屋は日田(大分県日田市)に置かれました。

 役所を陣屋(代官所)といい、租税徴収と一般民政(地方)と裁判訴訟(公事方)の事務を統括しました。
 郡代・代官の下には、御家人から採用される手付(ほぼ世襲)と、手付の最古参が手付元締となります。そして庶民から採用される手代とともに実務を担当します。 譜代の家臣を手代に採用する代官もいました。
 この他、陣屋には書役・勝手賄・足軽・中間などがいました。

 領民側では支配代官ごとに数ケ村で組合村がつくられ、その代表として惣代庄屋が選ばれました。 次第に郡単位で結合を強まり、総代庄屋の中から郡の代表郡中惣代を選出し、代官所との交渉や様々な問題に対処するようになります。

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遠国奉行
 重要都市や港などには政務を取り扱う遠国奉行が置かれました。遠国奉行の首座は長崎奉行です。遠国奉行の種類は以下の通りです。
 伏見奉行は大名から、他は旗本から任ぜられました。老中の支配下で、役高は1,000石から2,000石と任地により異なり、役料が支給されることもありました。 遠国奉行の管轄地を奉行知行所と呼びます。
名称 設置年 備考
長崎奉行 慶長8年 遠国奉行首座、芙蓉間席。享保期以降ほぼ2人体制で1年交代で長崎に詰める。
支配下に支配組頭・支配下役・支配調役・支配定役下役・与力(10名)・同心(15名)・清国通詞・オランダ通詞。
京都町奉行 寛文8年 老中支配とともに京都所司代の指揮下、芙蓉間席。東西の奉行所が設置され月番制を取る。京都市中の町政や裁判、山城・大和・近江・丹波の幕府領の行政及び寺社領の支配する。 享保7年に大津奉行が統合される。
支配下に与力(20名)・同心(50名)
大坂町奉行 元和5年 老中支配、芙蓉間席。東西の奉行所が設置され月番制を取る。大坂三郷の町政や裁判、摂津・河内の幕府領の行政を担当。
支配下にそれぞれ与力(30名)・同心(50名)
伏見奉行 元和6年 老中支配、芙蓉間席。伏見の町政、木津川船舶の取り締まり、京都町奉行とともに近江・丹波の幕府領の行政を担当。
支配下に与力(10名)・同心(50名)
山田奉行 慶長8年 老中支配。伊勢神宮の守護・遷宮祭礼、門前町の支配、伊勢・志摩の訴訟、鳥羽港の警備などを担当。
支配下に与力(6名)・同心(70名)・水主(40名)
日光奉行 元禄13年 老中支配、芙蓉間席。日光東照宮の守衛・修繕祭礼、日光領の支配。
支配下に支配組頭(6名)・同心(36名)・支配吟味役(7名)
奈良奉行 慶長18年 老中支配とともに京都所司代の指揮下、芙蓉間席。奈良の町政および寺社を管轄。
支配下に与力(7名)・同心(30名)
堺奉行 慶長5年 老中支配とともに大坂城代の指揮下、芙蓉間席。堺市中の町政や裁判、和泉・河内の幕府領の行政を担当。
支配下に支配組頭(10名)・同心(50名)
駿府町奉行 寛永9年 老中支配、芙蓉間席。駿府市中の町政、駿府を通行する諸大名諸士の密察、駿河伊豆の裁判、久能山東照宮の警衛を担当。元禄9年に清水奉行が統合される。
支配下に与力(6名)・同心(60名)・水主(50名)
佐渡奉行 慶長6年 老中支配、芙蓉間席。佐渡の行政と裁判・佐渡金山の支配・海上警衛を担当。
支配下に組頭(2名)・広間役(7~8名)・与力(30名)・同心(70名)・水主
浦賀奉行 享保5年 老中支配、芙蓉間席。当初伊豆下田に下田奉行が置かれていたが移転。江戸湾に入る船舶の監視・積荷の検査・相模浦賀の民政と裁判を担当。
支配下に組頭・与力(10名程度)・同心(50名程度)・足軽・水主
新潟奉行 天保14年 老中支配、芙蓉間席。新潟港に出入する船舶の監視、海岸警備、新潟市中の民政を担当。
支配下に組頭(2名)・定役(17名)・広間役(6名)・足軽(20名)・水主(30名)
箱館奉行 享和2年 蝦夷地の行政や防衛を担当。定員は3名でうち1名は江戸詰。文化4年松前に移転して松前奉行と改めたが、後に廃止さら、安政3年に再設置。
支配下に組頭(3名)・定役・調役・与力・同心
神奈川奉行 安政6年 神奈川港開港により設置。神奈川港の民政、運上所での関税及び外務全般の事務を担当。
支配下に組頭(4名)・調役(5名)・与力・同心
兵庫奉行 元治元年 老中支配、芙蓉間席。兵庫港開港により設置。
支配下に組頭

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