福井県のご先祖調べ

令制国の越前国若狭国に相当します。
当初、越前国は石川県も含んでいましたが、養老2年に能登国、弘仁14年に加賀国を分立し、領域が定まります。

戦国期以前の福井県
 南北朝時代、越前国には新田義貞が入り南朝方が勢力を持っていました。 暦応元年(1338)新田義貞が越前国藤島で戦死し南朝方が撤退すると、北朝方斯波氏が平定しました。 その後、畠山氏が一時期守護となりましたが、斯波義将が守護に任ぜられると、応仁期まで斯波氏が守護を務めます。
 斯波氏は幕府管領のため在京しており、執事の甲斐氏が守護代を務めました。 在国経営を任された甲斐氏は次第に守護斯波氏を凌ぐ勢力を持ち、主家斯波氏と対立するようになります。 加えて「応仁の乱」の一因となった家督争いにより、守護斯波氏は弱体化していくことになります。

 若狭国では貞治5年(1366)一色範光が守護となり、国人一揆を抑えて若狭を平定します。 その後「明徳の乱」で武功をあげると、一色氏は四職家として権勢を振るいます。勢力拡大を恐れた将軍足利義教は一色氏に代えて武田信栄を守護に任命し、以後武田氏が若狭国を支配することになります。 この武田氏は甲斐武田氏の分流です。

 戦国時代になると、越前国では守護代甲斐氏方として活躍した朝倉孝景が台頭します。
文明3年(1471)朝倉氏が正式に越前守護職となり、一乗谷を本拠地として、孝景・氏景・貞景・孝景・義景の5代にわたり越前国を支配しました。
 天正3年(1575)織田信長によって朝倉氏が滅びると、重臣柴田勝家が北之庄城に入り、越前国を支配しました。 その信長が「本能寺の変」で死ぬと、後継者争いで先頭に立つ羽柴秀吉が柴田勝家を滅ぼし、豊臣政権の支配を受けるようになります。
 若狭国では、永禄年間に朝倉氏が侵攻し、武田氏を駆逐し朝倉氏の支配下に組み込まれました。

福井県の名字
 戦国期以前より勢力を振るった在地領主の一族をみてみましょう。
 ただし名字の出自や由緒には諸説あり、すべては網羅できておりません。参考の一つにしてください。

 まず越前国からみてみます。
 北から加賀国の齋藤氏の一族が越前へ入ります。齋藤氏族には、堀江・細呂木・岡部・稲津・藤島・河合・疋田などがあります。
 越前で戦国大名として成長したのが但馬日下部氏流の朝倉氏です。
から分出し苗字には、中野・松尾・向・三田崎・阿波賀・東郷・中島・前波・桂田・北庄・鳥羽・勝蓮花・大光・蓑輪・土橋・小泉・構江・石来などがあります。
 朝倉氏家臣団には以下の苗字があります。これらは地域の土豪・国人領主といえます。郡別にみてみます。
 坂井郡には、臼井・深町・杉若・山崎・鰐淵・伊自良・乙部の諸氏。
 足羽郡には、足羽・江守・和田・詫美・魚住・大町の諸氏。
 丹生郡には、府中奉行となる青木・久原・印牧、そして立髪・大窪の諸氏。
 今立郡には、千秋・立待・真柄の諸氏。
 敦賀郡には、千福・鞍谷・本保の諸氏。
 その他、今立郡からは南朝方として活躍する瓜生氏、近江蒲生氏族の赤座氏も勢力を振るっています。

 次に若狭国をみてみます。郡別にみてみます。
 遠敷郡には、鳥羽・安賀・谷川・秦・赤坂・沼田・古津・屋戸矢・大崎の諸氏。
 大飯郡には、青・大草・関屋・一瀬・和田・佐分・河崎・岡安・本郷の諸氏。
 三方郡には、三方・大音・沼田・戸島・長野・南部の諸氏。
 守護武田氏の有力被官で成長したものに内藤氏栗屋氏山県氏逸見氏香川氏があります。

 福井県の苗字ベスト20位をあげると、以下の通りです。
1田中 2山本 3吉田 4山田 5小林 6中村 7加藤 8清水 9佐々木 10山口
11前田 12林 13伊藤 14竹内 15橋本 16渡辺 17斎藤 18高橋 19酒井 20谷口

福井県の名字の特徴は隣りの滋賀県に似ています。佐々木氏は近江国の発祥ですし、近江国から人の移動を示しています。「田」の付く名字が上位に多く、稲作文化の先進地域の影響がみらます。 また「山」「木」「林」「川」などの自然地名や、集落をしめす「村」の付く苗字も多くみられます。 これも農耕社会を影響を受けている苗字です。
さらに「北」「西」の方角が付く苗字が目立ちます。

江戸時代の福井県
 越前国には、将軍徳川秀忠の兄結城秀康が入り越前松平家北ノ庄藩が置かれます。 しかし秀康の嫡男松平忠直の乱行を理由に改易となり、以後越前国は複数の藩に分割されることになります。 また所々に幕府領がありますが、多くは福井藩の預地となっています。
 若狭国は、京極高次に若狭一国が与えられ、小浜藩が置かれました。
 廃藩置県時に福井県に存在した藩は以下の通りです。

藩名 城下町 主な藩主の変遷
丸岡藩 坂井市丸岡 本多氏→有馬氏
福井藩 福井市 越前松平氏
勝山藩 勝山市 小笠原氏
大野藩 大野市 土井氏
鯖江藩 鯖江市 間部氏
小浜藩 小浜市 京極氏→酒井氏

福井県の家紋
 福井県の使用家紋をみてみましょう。
『都道府県別姓氏家紋大事典』によると、福井県の家紋ベスト10は次の通りです。
1位 片喰 2位 木瓜 3位 鷹の羽 4位 桐 5位 梅鉢
6位 藤 7位 橘 8位 蔦 9位 柏 10位 目結

 日本の十大家紋と比べると、茗荷紋沢潟紋がランク外となり、かわりに目結紋梅鉢紋がランク入りしています。
 福井県の代表的な家紋は、但馬日下部氏流の越前朝倉氏の定紋三つ盛り木瓜紋、織田氏の氏神剣神社の神紋五葉木瓜紋を始めとする木瓜紋です。 日下部氏族は「木瓜紋」が多いようです。
片喰紋は関西圏で上位にありますが、越前の藤原氏利仁流が多く使用するといわれています。 目結紋は佐々木氏族の関係と考えられます。

福井県の寺院
 福井県の寺院をみてみましょう。
『全国寺院名鑑』(全日本仏教会寺院名鑑刊行会)によると、福井県の宗派別の割合は以下の通りです。
  嶺北
(福井・大野など)
嶺南
(敦賀・小浜など)
天台宗 8% 1%以下
真言宗 3% 6%
曹洞宗 9% 39%
臨済宗 1% 15%
浄土宗 5% 8%
浄土真宗 63% 24%
日蓮宗 10% 6%
その他 1% 1%以下
 福井県は嶺北と嶺南で宗教の趣きが大きく異なります。
 嶺北は真宗王国に相応しく真宗寺院が60%を超え、禅宗系・真言宗系が少なくなります。 対して嶺南は禅宗系が多く、他地域では少ない臨済宗寺院が15%近くあります。
 曹洞宗寺院も少ないのですが、本山永平寺があることで知られています。 開祖道元は迫害を避けて、信者・波多野義重を頼り越前国志比庄に下向します。 その後、大佛寺を建立、これが永平寺の開創と伝えられています。
 越前国の真宗勢力は、文明3年(1471)京の迫害から逃れた本願寺第8世法主蓮如吉崎御坊(あわら市吉崎)を建立したことに始まります。 その後、北陸地方の布教拠点となり、多くの信者(一向宗門徒)を獲得していきます。
 一向宗徒は権力に対する抵抗運動(一向一揆)を起こすようになり、守護朝倉氏は真宗を禁圧しています。その後、将軍足利義昭の間に入り、本願寺と朝倉氏は和睦し、朝倉氏領内における本願寺系浄土真宗の禁圧も解かれます。

福井県の神社
 越前国一之宮は敦賀市の気比神宮です。
 主祭神は伊奢沙別命(いざさわけのみこと)気比大神または御食津大神とも称されます。
 伊奢沙別命は、古くより海上交通、農漁業始め衣食住の生活全般の守護神です。
 社伝では、伊奢沙別命は天筒山に霊跡を垂れ、土公の地に降臨したといい、また神功皇后と武内宿禰が安曇連に命じて気比神を祀らせたといいます。 中世以降、北陸道総鎮守とも称され、その影響力は越中・越後にまで及んでいます。
 古代では、角鹿氏(つぬがうじ)が祭礼を行ったといわれています。 平安時代以降、大中臣姓・角鹿姓・菅原姓が社家をつとめ、織田信長の越前侵攻後は大中臣姓の東河端・西河端・北河端・石倉・石塚・平松の諸家と、角鹿姓の島家、菅原姓の宮内家が勤めました。
 二之宮剣神社は斎部氏が神職をつとめ、末裔親真が織田氏を称します。織田信長 の先祖です。その後守護斯波氏の被官となり、尾張守護代に発展していきます。

 若狭国一之宮は小浜市の若狭彦神社です。上社・下社の2社からなり、上社を若狭彦神社、下社を若狭姫神社といいます。
 主祭神は、上社が彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) ・下社が豊玉姫命(とよたまひめのみこと)です。
 神官は笠朝臣牟久氏です。


※姓氏の出自や由緒には諸説あります。このサイトではすべてを網羅できておりません。
 参考の一つにしてください。
 また出自や由緒、来歴についての質問は受けかねます。ご了承ください。

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