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郡山藩家臣のご先祖調べ

 大和国は興福寺・春日神社などの寺社勢力が強く、鎌倉・室町時代を通じて守護職が置かれず、その役割を興福寺が担っていました。  戦国時代になると、中央政界を結び付いた国人衆が凌ぎ、その中から筒井氏が抜け出し、 織田信長の後ろ盾を得た筒井順慶が、反信長に動いた松永久秀が滅ぶと、名実ともに大和国守護となりました。 筒井順慶の時に、改修した郡山城に居城を移しています。
 豊臣政権下では、秀吉の弟豊臣秀長、次いで五奉行の一人増田長盛が城主となります。 しかし「関ヶ原の合戦」で西軍に与した増田長盛は改易となり、幕府直轄領となりました。
 「大坂の陣」で豊臣氏が滅亡すると、「大坂の陣」で戦功を立てた水野勝成が6万石で郡山藩を立藩します。
 元和5年(1619)水野勝成が備後国福山藩へ移封され、松平忠明が12万石で入封しますが、以降藩主が次々入れ替わります。
 寛永16年(1639)姫路藩より本多政勝が15万石で入封。
 延宝7年(1679)播磨明石藩より松平信之が15万石で入封。
 貞享2年(1685)下野宇都宮藩より本多忠平が入封。
 享保8年(1723)4代藩主本多忠烈が8歳で夭折し、本多家は無嗣改易となります。 代わって、享保9年(1724)甲斐甲府藩より柳沢吉里が15万石で入封します。大和国最大の藩です。
 以後明治維新まで、柳沢氏が郡山藩主として定着しました。

郡山藩
  藩庁 郡山城(大和郡山市)  
  江戸屋敷 上屋敷 幸橋門内(千代田区内幸町2丁目) 
下屋敷 御曲輪外(文京区本駒込6、六義園)
 
  石高(表高) 15万1千石
  江戸城控間 帝鑑間
  格付け 城主
  爵位 伯爵

郡山藩の歴代藩主
    ※歴代藩主の中で本多氏と柳沢氏を記します。
本多氏 家紋:本多葵紋
本姓:藤原北家兼通流
菩提寺:
代数 氏名 官位 在職
本多忠平
(ただひら)
従四位下・
能登守
貞享2年(1685) ~
元禄8年(1695)
本多忠常
(ただつね)
従五位下・
能登守
元禄8年(1695) ~
宝永6年(1709)
本多忠直
(ただなお)
従五位下・
信濃守
宝永6年(1709) ~
享保2年(1717)
本多忠村
(ただむら)
享保2年(1717) ~
享保7年(1722)
本多忠烈
(ただつら)
享保7年(1717) ~
享保8年(1723)

柳沢氏 家紋:柳沢唐花菱紋
本姓:清和源氏義光流
菩提寺:黄檗宗永慶寺(大和郡山市)
代数 氏名 官位 在職
柳沢吉里
(よしさと)
従四位下・
甲斐守
享保9年(1724) ~
延享2年(1745)
柳沢信鴻
(のぶとき)
従四位下・
美濃守
延享2年(1745) ~
安永2年(1773)
柳沢保光
(やすみつ)
従四位下・
甲斐守
安永2年(1773) ~
文化8年(1811)
柳沢保泰
(やすひろ)
従五位下・
美濃守
文化8年(1811) ~
天保9年(1838)
柳沢保興
(やすおき)
従四位下・
甲斐守
天保9年(1838) ~
嘉永元年(1848)
柳沢保申
(やすのぶ)
従四位下・
甲斐守
嘉永元年(1848) ~
明治4年(1871)

郡山藩の家臣団
 郡山藩柳沢家は元禄期以降に成立した大名家です。他の大名家は軍方組織がベースにあったのとは異なり、当初より役方組織の要素た高いといえます。
 藩士の家格は、御目見以上諸士席外に大別されます。御目見以上は毎月、御殿に参上し藩主にご機嫌伺いが出来る士分です。 諸士は士分に準ずる待遇で、席外は兵卒です。
 初代柳沢吉保時代から随身した譜代家臣は要職に附き、なかでも曽祢・萩沢・薮田・大沼・佐瀬の5氏は「柳沢」の苗字を許されました。
 柳沢氏は元禄初期の家臣団が104人でしたが、15万石の大名に取り立てられ、急速に家臣を増やします。郡山藩入部当時には3000人を超える家臣がいたといいます。 足軽ら下級武士は大和国内からの採用が増え、明治維新時の家臣は1902人、そのうち足軽身分が787人でした。
 藩政の最高決定機関は、家老・年寄・用人らで構成される「御用部屋」で行われ、実際の政務は奉行職が担うことになります。
      ⇒江戸時代の武家の一生(ライフサイクル)

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郡山藩本多家の家臣
『本多唐之助家中覚書 享保八年』より藩士家名
あ) 安養寺・浅川・相場・荒島・赤星・安倍・渥見・荒木・味岡・青木・雨森・有野・天野・阿部・ 赤田・会笠・赤沢・青山・天田・荒川・安藤・荒石・青野・秋場・秋山・荒井・荒尾・浅井
い) 石黒・石井・伊藤・印藤・石塚・稲葉・岩沢・猪狩・雪吹・生駒・岩田・石原・市川・飯田・ 飯田・岩井・家田・茨木・磯部・井岡・石渡・今井・飯村・飯嶋・飯塚・岩本・岩村・井関・今山・石塚
う) 上田・内田・海野・梅村・梅津・上柳・植・牛久保・上野
え) 遠藤・円城寺・恵藤・江見・榎並屋・江田・江口・江馬
お) 大屋・荻野・大井・太田・岡本・岡原・奥平・大宮・岡田・太井田・小沢・大関・小山・小倉・ 岡路・太西・奥田・緒方・小野・大橋・大谷・大野・大塩・尾形・大森・大原・小田・落合・大竹・大重・大栗・ 岡部・大垣・大塚・大場・岡・小川・岡村・大竹・尾上・岡西

か) 蒲生・勝野・川口・片岡・亀田・神尾・加納・加藤・門田・角田・川村・各務・川嶋・兼松・ 笠井・片名・鏑木・川合・加納・勝田・川崎・加田・桂・片山・加畑・笠原
き) 北村・北爪・木佐美・木元・木村・北川・岸田・木原・岸野
く) 久代・草野・窪田・黒瀬・黒川・櫛田・倉田・栗田・久保・蔵元・桑島
こ) 近藤・公海・小鷹・郷渡・幸島・小柴・小場・小松・小出・上月・小林・小針・国分・甲野・ 児玉・越溝・五師・小釘・鴻池

さ) 斎藤・酒槙・桜井・匂坂・佐久間・佐治・佐山・境港・佐野・佐藤・坂野・沢田・沢木・坂路・ 酒井・坂倉
し) 清水・篠田・重野・柴田・志賀・塩野・塩屋・塩谷・重山・塩川・柴坂・柴山・渋井・十文字・ 嶋野・篠崎・篠原・下瀬
す) 須東・菅生・菅・杉野・鱸・杉山・鈴木・杉江・杉村
せ) 関・瀬尾・関原・関根
そ) 園部

た) 田嶋・竹内・多賀・谷田・田中・高橋・高木・谷崎・宝・武山・玉井・高野・田村・武田・ 田母沢・高宮・高村・武村・田辺・高久・田渕・高田
つ) 津田・佃・塚野・杖・辻
て) 寺尾・手塚・寺沢・寺元

と) 遠山・飛田・富岡・土岐・土橋・鳥留・戸祭・飛山・友炉・富田・富山・戸室・豊田・十市・ 戸川・豊島・富沢

な) 永山・長井・中根・永島・中島・長尾・永沼・長坂・成田・永藤・中山・中村・中野・中川・ 内藤・長野・中西・中沢・長塩・長根・永山・並木・長沼・永井・那波
に) 西・仁科・西山・西沢・西村
ね) 根本
の) 野村・乃美・野沢・野原・野々村・野口・野村・野方・野上・野間

は) 林・早川・波多野・長谷・速水・伴・芳賀・花沢・橋元・橋矢・長谷川・蓮部・早鷹・八屋・ 原・橋本・半田・服部
ひ) 平野・日置・平出・日岐・平石・平島
ふ) 武衛・福岡・藤川・船越・藤井・古橋・古屋・船迫・藤田・福田・藤倉・福本・船木
ほ) 星野・本賀・本城・堀・堀井・堀田・北条・堀川・保住・方角・堀野

ま) 正木・松野・牧野・松下・益田・町井・松山・松本・松原・増野・前川・松川・前田・町田・ 増山・間宮・松村・増井・松平
み) 水野・宮田・宮川・三坂・三宅・宮崎・三浦・水嶋・三森・緑川・御子柴・峯・巻島・三木・ 三矢・峯田
む) 村上・村井・宗方・村田
も) 守田・望月・森脇・森岡・森村

や) 山村・山口・薬師寺・山路・矢野・山本・山中・安村・山田・山下・山内・八木沼・山崎・ 柳下・山川・山根・矢吹・柳沢・安民・谷内・安武・安井・社
よ) 横川・吉田・横田・吉崎・芳村・横野・吉村・横瀬

り) 龍造寺
わ) 渡部・和田・若林・脇坂・脇部・渡辺

郡山藩柳沢家については、『御家中御役人付』(享保四年)より藩士家名を参照ください。

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