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甲府藩家臣のご先祖調べ

 慶長5年(1600)「関ヶ原合戦」後、甲府郡代平岩親吉の養子徳川仙千代が入封しますが、同年夭折しました。 続いて慶長8年(1603)、徳川義直(家康9男)が25万石で入封しますが、慶長12年(1607)徳川義直が尾張清洲藩に加増移封となったため、 甲斐国は駿河国府中の徳川忠長(秀忠3男)の所領とされ、甲府城番が設置されました。
 寛永9年(1632)、徳川忠長が素行の悪さから改易され、甲斐国は幕府直轄領となりました。
 慶安4年(1651)3代将軍徳川家光の三男徳川綱重が甲斐国を拝領し、甲府藩が成立します。徳川綱重は江戸に定府したため、領国は甲府城代が統治しました。
 甲府城代は、渡辺豊前守・戸田周防守・渡辺長門守・戸田阿波守・岡野伊豆守が勤めています。
 宝永元年(1704)5代将軍徳川綱吉の後継者となった2代甲府藩主徳川綱豊は、徳川家宣と改名して6代将軍そして江戸城に移りました。家臣団も幕臣として再編制されています。
 代わって側用人柳沢吉保が甲斐国へ入封し、宝永6年(1709)その子柳沢吉里が継承しました。

 享保9年(1724)「享保の改革」における幕府財政強化のため、幕府領となり、甲府町方は甲府勤番支配、在方は四分代官支配となります。
 幕府領(代官支配地)のほかに甲斐国には、徳川将軍家一門の御三卿領(田安・一橋・清水3家)が設けられています。それぞれ陣屋を設置し、領地支配を行いました。
 「大政奉還」後に「戊辰戦争」が勃発すると、新政府軍は勤番士・与力同心らに、甲府を去って徳川家へ仕えるか、留まって新政府に仕えるか選択を迫りました。帰順者76名は「護衛隊」として新政府の指揮下に置かれていました。

甲府藩
  藩庁 甲府城(甲府市)  
  石高(表高) 甲府徳川家 25万石 柳沢家 15万石

甲府藩の歴代藩主
代数 氏名 官位 在職
徳川綱重
(つなしげ)
家康ひ孫
正三位・
参議
慶安4年(1651) ~
延宝6年(1678)
徳川綱豊
(つなとよ)
のち6代将軍徳川家宣
正三位・
権中納言
延宝6年(1678) ~
宝永元年(1704)
柳沢吉保
(よしやす)
従四位下・
美濃守
宝永元年(1704) ~
宝永6年(1709)
柳沢吉里
(よしさと)
従四位下・
甲斐守
宝永6年(1709) ~
享保9年(1724)

甲府勤番支配と四分代官支配
 甲府勤番支配の定員2名で、甲府城内大手と山ノ手に役宅があり、 それぞれに勤番士100名と与力10名・同心50名・小人10名が配属されました。 遠国奉行の筆頭として江戸城芙蓉之詰めで、駿府城代と並ぶ地位にありました。 主に家禄3000石以上の高禄旗本が勤め、任期は平均すると4年ほど、役料が1000石あり、甲府城の守護と府中政務や訴訟の処理を任されました。
 勤番士は石高500石から200俵取り、家族を引き連れ移住しました。勤番士の中から組頭が4人選ばれ、このほか仮目付(勤番士の監視)・武具奉行(武具の管理)・破損奉行(城中の修理)・御蔵立会(金穀出納の立会)の役職もありました。 任務は甲府城の守衛、城米の管理、武具の整備、町方支配です。成立当初は、甲州系家臣が多くが登用されたようです。
 勤番士の最重要な任務が甲府城の警備です。昼は5人体制・夜は仮目付を加えた6人体制で警備します。昼夜の交代は朝5ツ時と7ツ時、山手・大手の各組が隔日交代で勤務しました。
 与力・同心は勤番士を補佐するほか、門番や番所・町方役所に配置され、警察的な職務にあたりました。

 甲府周辺の幕府領は4ケ所の代官陣屋の支配を受けました。甲府代官陣屋(甲府市中央3丁目)・上飯田代官陣屋(甲府市宝2丁目)・石和代官陣屋(笛吹市石和町市部)・ 谷村代官陣屋(都留市中央)です。のちに上飯田代官陣屋は廃止され、市川大門代官陣屋(市川三郷町)が設立します。


      ⇒江戸時代の武家の一生(ライフサイクル)

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甲府藩柳沢吉里の家臣
『御家中御役人付』(享保四年)より藩士家名
あ) 浅利・青木・安藤・荒川・赤井・秋田・芦田・阿部・新井・阿佐美・明石・穴沢・ 会田・荒井・雨宮・厚芝・足立・厚木・浅田・浅尾・秋山・浅川・甘利・赤沢・天貝
い) 石沢・池上・井口・一柳・飯塚・岩田・伊秩・稲生・岩崎・稲留・今立・稲毛・井手・ 市川・池田・飯嶋・今井・一色・井上・稲垣・伊谷・石川・飯尾・石井・岩手・石合・石原・岩間・伊部・ 伊藤・今枝・五十嵐・井出・今村・岩瀬・池谷・池沢・印藤・岩取・石河・今西・飯田・磯村・伊川・入江・石橋
う) 上月・打越・上田・内田・氏家・内山・宇田・宇佐美・牛窪・植松・上原・梅村・内野・ 上野・上島・牛田・内山・宇野・梅野
え) 江嶋・榎本・江畑・江原
お) 小田・笈川・大石・大井・大山・生頼・大森・岡部・大館・大谷・小沢・荻生・ 産田・小畑・大日方・岡村・尾沢・大宮・緒形・大村・大高・乙黒・岡嶋・岡田・奥村・岡・奥林・ 岡本・隠岐・大脇・大橋・笈松・大嶋・奥野・小川・小原・大多和・大岡・岡野・落合・岡内・太田・長田・ 尾崎・大河内・小野

か) 川口・梶村・賀古・片山・加藤・加持・神沢・笠原・河辺・金森・鎌原・金丸・ 狩野・神沢・格和・柏木・蒲生・河合・兼松・神谷・川崎・角田・膳・河内・片岡・片島・川合・金谷・ 上与・笠尾・梶塚・金杖・川上・川嶋・金子・亀井・加治・勝俣・川辺・神戸・河西・兼子・加々美
き) 喜多村・木俣・桐原・喜多岡・北村・木村・木部・木肥・木口・菊池・橘川
く) 日下部・楠田・蔵持・釘谷・熊沢・畔柳・久城・工藤・鞍岡・九里・栗田・黒沢・栗原・窪田・ 倉島・久米・久須見
け) 剣持・見成・源井
こ) 後藤・小杉・小長谷・近藤・河野・小林・小岩井・河野瀬・小俣・小泉・小岸・小枝・ 小嶋・小松・小宮山・小森・久我・小池・幸山

さ) 酒井・三枝・山東・佐久間・桜井・坂庭・斎藤・坂・佐々木・里見・榊原・坂本・佐藤・ 沢井・佐田・桜井・笹本・佐治・桜田
し) 下川・清水・設楽・新発田・志水・渋谷・篠崎・鹿貫・嶋津・嶋江・正田・鎮目・柴嶋・ 塩川・柴田・渋江・篠原・静間・庄司・下山・嶋田
す) 鈴木・菅田・杉原・菅沼・杉山・須崎・杉浦・杉野・末木・杉江・杉本
せ) 関・関根・石氏・瀬戸・関沢・瀬川

そ) 薗部・外嶋・相馬・添田
た) 田村・滝口・高川・多賀・高滝・多田・竹内・田中・高橋・谷口・滝・竹田・ 高田・高松・田坂・高梨・高槻・竹井・田岡・高山・武井・田沢・竹尾・高野・館野・田北・滝川・竹居・ 高塚・鷹野・大藤・武間・田辺・高野・竹地・田口・立川・谷浦・田代
ち) 千葉・長
つ) 柘植・塚本・辻・津田・辻本・都築・土橋・塚原・坪井・土屋
て) 寺内・出野
と) 豊田・戸田・土肥・鳥居・鳥井・鳥飼・戸倉・豊嶋・鳥羽・戸栗・富塚・遠村

な) 永井・汀・成瀬・中嶋・鳴海・中村・長岡・内藤・中安・中根・中川・長沢・ 長井・成谷・仲谷・中沢・長堀・中野・長嶋・中田・中尾・名倉・中井・難波・成田・生形・永田・ 名取
に) 西窪・丹羽・錦織・西倉・二宮・西川・西嶋
ぬ) 布・
ね) 根津
の) 野沢・野村・野口・野崎・野秋・野神

は) 長谷川・服部・長谷部・早川・塙・萩原・春原・林・羽生・浜田・花曲・橋本・原・ 伴・馬場・花形
ひ) 平尾・平岡・平野・疋田・平井・人見・樋口・久成・広瀬・日向・平田・広藤・広田・ 桧山・土方
ふ) 福井・藤川・古木・藤田・福原・伏木・藤井・藤本・藤平・古市・古田・深沢・舟田・ 古屋・福嶋・古山・福本・古郡・深尾・不波
ほ) 細田・本田・堀・北条・本間・堀江・堀打・本多・堀田

ま) 松平・前河・的場・丸毛・松本・増田・前原・牧野・牧田・松崎・松沢・松野・ 松木・松田・正木・前本・蒔田・真柄・松井・丸山・松葉・松浦・松下・松山
み) 水上・水嶋・三宅・三浦・宮沢・三間・光野・三好・三輪・三木・三坂・三田村・箕田・ 水谷・三上・満田・宮川・宮沢
む) 村井・村田・村越・村尾・武藤・村上・村松・村岡
も) 望月・桃井・森・茂木・森田・森本・森下・諸角

や) 柳沢・山田・山崎・柳生・矢野・山口・山本・薮田・矢作・矢嶋・山中・矢口・ 山岸・山寺・安本・山下・八重森・山県・谷沢・安田・柳田・山名・山内・山村・屋山山藤
ゆ) 由良
よ) 横田・吉田・吉岡・横地・依田・吉松・横内・横打・吉川・米山・吉村・依川

わ) 渡部・和田・渡辺

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