苗字の由来

代表的な苗字(名字)の由来と使用家紋を紹介します。

渡辺氏の由来と使用家紋
弊社代表の苗字でもある「渡辺氏」は、全国軒数第5位の大姓です。
『都道府県別件数順位』をみると以下の通り、
   ※電子電話帳「写録宝夢巣 Ver.9.01」(日本ソフト販売)より
 北海道(8位)  青森(47位) 岩手(26位) 宮城 (9位) 秋田(14位)
 山形(8位) 福島(3位) 茨城(4位) 栃木(2位) 群馬(22位) 埼玉(7位)
 千葉(4位) 東京(6位) 神奈川(4位) 新潟(2位) 富山(25位)
 石川(82位) 福井(17位) 山梨(1位) 長野(17位) 岐阜(5位)
 静岡(2位) 愛知(9位) 三重(18位) 滋賀(44位) 京都(7位)
 大阪(24位) 兵庫(34位) 奈良(69位) 和歌山(184位) 鳥取(17位)
 島根(19位) 岡山(9位) 広島(12位) 山口(19位) 徳島(62位)
 香川(22位) 愛媛(9位) 高知(44位) 福岡(12位) 佐賀(50位)
 長崎(38位) 熊本(12位) 大分(5位) 宮崎(22位) 鹿児島(68位)
 沖縄(―)
同族とされる「渡部氏」の軒数を加えるとさらに上位のはずです。
軒数からみると、関東・甲信越・東海地方に多いことが分かります。
特に山梨県(1位)静岡県(2位)の地域と、新潟県(2位)福島県(3位)栃木県(2位)の辺りは 集住地域で、「渡辺氏」は東日本の苗字といえます。

渡辺氏の由来と家紋
「渡辺氏」は、嵯峨天皇の皇子左大臣源融(とおる)を遠祖としています。
源融は『源氏物語』の主人公光源氏のモデルともいわれる人物です。
源融の孫源仕(つこう)は武蔵守となり、武蔵国足立郡箕田(埼玉県鴻巣市)に下向し、箕田仕と名乗ります。
仕の子が箕田源次宛、その子が源綱(つな)です。
源綱は、その後源満仲の娘婿源敦の養子となり、 母方の里である摂津国渡辺(大阪市中央区)に居住し、 渡辺綱(わたなべのつな)と名乗り、渡辺氏の祖となりました。
渡辺綱は摂津源氏源頼光の郎党となり、武勇の誉れ高く四天王の筆頭と称えられます。

その後、渡辺氏は、旧淀川河口付近を本拠地に「渡辺党」という武士団をつくり、瀬戸内海の水運を握ります。 つまり水軍の棟梁的存在でもあったのです。
また皇室領の大江御厨を統轄し、御所では天皇の身辺警護(滝口の武士)や、衛門府、兵衛府などの官職に就きます。
平安時代後期、渡辺氏は源頼光の後裔であり、皇室警護の任にあった源頼政の郎党として、宇治合戦では平家軍と戦い討死しています。

このように渡辺氏は、渡辺津を中心に水運業や港湾業で財をなし、一族は海を通じて肥前・豊後・三河・甲斐など日本全国に拡がっていきます。 他の開発領主系の武士たちが土地を基盤に勢力拡大していったのに対して、 渡辺氏は朝廷や貴族への軍事奉仕により政治的保護を受けて勢力を保持していきました。
その後、日本全国に散らばった渡辺氏は、武田・今川・織田・徳川・毛利など有力戦国武将に仕え、 勇猛で知られる活躍をみせ、その支族を残していきます。

京都の中の渡辺氏

一条戻り橋 【一条戻橋(いちじょうもどりばし)】
所在地 京都市上京区堀川通
、『平家物語』にある渡辺綱が鬼の腕を切り落とした逸話が残る橋です。 現在の橋は平成7年に架けられたもので、晴明神社には古い一条戻橋(大正11年建設)の復元橋があります。
源融墓 【源融 清涼寺の墓所】
所在地 京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
この地には嵯峨源氏の祖源融の別荘栖霞観(せいかかん)がありました。 死後寛平8年(896)に子息が棲霞寺として「阿弥陀三尊」を祀る阿弥陀堂が建立しました。

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