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徳島藩家臣のご先祖調べ

 天正13年(1585)四国征伐後、その功績により蜂須賀正勝阿波国を与えられ、その子蜂須賀家政が徳島城主となります。
 「関ヶ原の戦い」で、家政の嫡子蜂須賀至鎮は徳川家康に従い会津征伐に従軍、関ヶ原の本戦では東軍として参加しました。戦後、家康より旧領が安堵され、初代徳島藩主となりました。 「大坂の陣」でも徳川方として参戦し武功を立て、慶長20年(1615)淡路国を加増され、阿波国を合わせて25万7千石を領しました。
 徳島藩は吉野川流域で生産される藍を特産物として保護育成し、藩の後ろ立てを得て徳島の藍商人が全国の市場をほぼ独占しました。藍からの収益は藩財政の有力な財源となりました。

 幕末期の13代藩主蜂須賀斉裕は11代将軍徳川家斉の22男で、12代徳島藩主蜂須賀斉昌の養嗣子となり、家督を継いで藩主となります。 徳川将軍家出身のは佐幕・公武合体派として活動しますが、筆頭家老の洲本城代稲田氏らは勤王派で、藩論を統一できずに明治維新を迎えることになりました。

 一方洲本城代稲田邦植は尊皇攘夷派であったため、早々に新政府軍に帰順しました。独断で「鳥羽・伏見の戦い」や高松藩への征討などへ出兵し、徳島本藩と対立を深めていきます。 明治維新を迎えると徳島藩から独立し、稲田藩の立藩に動き出します。明治3年5月(1870)この行動に怒った徳島藩側の過激派武士らが、稲田家とその家臣らの屋敷を襲撃しました。
 これを問題視した明治政府は徳島藩の関係者を処分し、稲田氏知行地の淡路島の津名郡は兵庫県に編入されていることになりました。

徳島藩
  藩庁 徳島城(徳島市)  
  江戸屋敷 上屋敷(千代田区丸の内3丁目) 
中屋敷(港区芝5丁目)
下屋敷(港区白金台5丁目)
 
  石高(表高) 25万6千石
  江戸城控間 大広間
  藩校 長久館 安政3年設立
  格付け 国主
  爵位 侯爵

徳島藩の歴代藩主
蜂須賀氏 家紋:蜂須賀万字紋
本姓:称清和源氏斯波氏族
菩提寺:臨済宗妙心寺派興源寺
 (徳島市下助任町)
代数 氏名 官位 在職
蜂須賀至鎮
(よししげ)
従四位下・
阿波守
慶長5年(1600) ~
元和6年(1620)
蜂須賀忠英
(ただてる)
従四位下・
阿波守
元和6年(1620) ~
慶安5年(1652)
蜂須賀光隆
(みつたか)
従四位下・
阿波守
慶安5年(1652) ~
寛文6年(1666)
蜂須賀綱通
(つなみち)
従四位下・
阿波守
寛文6年(1666) ~
延宝6年(1678)
蜂須賀綱矩
(つなのり)
従四位下・
淡路守
延宝6年(1678) ~
享保13年(1728)
蜂須賀宗員
(むねかず)
従四位下・
淡路守
享保13年(1728) ~
享保20年(1735)
蜂須賀宗英
(むねてる)
従四位下・
阿波守
享保20年(1735) ~
元文4年(1739)
蜂須賀宗鎮
(むねしげ)
従四位下・
阿波守
元文4年(1739) ~
宝暦4年(1754)
蜂須賀至央
(よしひさ)
宝暦4年(1754)
10 蜂須賀重喜
(しげよし)
従四位下・
阿波守
宝暦4年(1754) ~
明和6年(1769)
11 蜂須賀治昭
(はるあき)
従四位下・
阿波守
明和6年(1769) ~
文化10年(1813)
12 蜂須賀斉昌
(なりまさ)
正四位上・
阿波守
文化10年(1813) ~
天保14年(1843)
13 蜂須賀斉裕
(なりひろ)
正四位上・
阿波守
天保14年(1843) ~
慶応4年(1868)
14 蜂須賀茂韶
(もちあき)
従四位上・
阿波守
慶応4年(1868) ~
明治4年(1871)

徳島藩の家臣団
 蜂須賀氏の阿波国入りに際し、蜂須賀家政に近侍する重臣を身付衆と称し、そのなかの有力者を身付老従(細山氏・益田氏・山田氏・長谷川氏)といいました。 これに対し、蜂須賀氏に付属させた豊臣秀吉の家臣を与力衆と称し、そのなかの有力者を与力老従(稲田氏・牛田氏・中村氏・林氏・森氏・樋口氏・西尾氏)といいました。
 主要な家臣は蜂須賀家政の代でほぼ形つくられます。主要家臣は蜂須賀氏の生国尾張国の出身者が多く、次いで前領地の播磨国龍野が続きます。播州龍野の出身には志方七人衆(原氏・石坂氏・蔭山氏・平瀬氏・船橋氏・岡田氏)と呼ばれた者もいました。 対して阿波国の出身者は少数です。召抱えられても大半が下級武士です。
 万延元年(1860)分限帖によると、藩士は1800人(うち扶持人は662人)で、その下には藩主に拝謁できない陪臣・足軽(籏・弓・鉄砲・長柄)・仲間・小者、舟手の船頭・水主人がおり、それを含める5000人近くになりました。
 藩士は、家老・中老・物頭・与士(組士・平士・馬廻士)・高取諸奉行・小姓・中小姓・日帳格・徒士(歩行)・小奉行の身分で組織され、多く世襲でした。
 家老には稲田・賀島・池田・益田・長谷川・蜂須賀の諸氏が就き、なかでも稲田氏は淡路洲本城代を勤める特別な地位にありました。

 軍事組織(番方)と行政組織(役方)に大別されます。
 番方をみると、家老は中老2組(1組に与士25人)、物頭4組(1組に鉄砲足軽21人あるいは弓足軽30人、持筒足軽30人、籏足軽20人)を率います。 物頭は足軽大将で、旗頭・鉄砲頭・持筒頭・弓頭の順がありました。与士は戦闘の主体であり、徳島城下に11組が置かれました。平時は警衛の役目に付きます。
 役方の主な役職は以下の通りです。
 まず家老が就く仕置が実際の藩政を主導します。家老・中老から選ばれた年寄が藩政を監察します。仕置の下に国奉行・目付があり、藩政の中枢を担います。 具体的な政務を執行するのが、その下の元締めや諸奉行になります。
 蜂須賀氏は入国当初、中世城郭を改修した9つの支城(阿波九城)を配置し、城番を置き、領知支配を行っていました。「一国一城令」で廃城となったあと、在地支配は郡奉行(郡代)へ引き継がれていきます。
 役方には物頭・与士・高取諸奉行から身分に応じて任命され、役職と身分とは一定の決まりがありました。

 徳島藩にも在郷武士がいました。
 国境警備や山岳地帯の取り締まりを担う郷鉄砲(池田士・海部郷鉄砲など)、蜂須賀氏入国以前の在地領主で郷士に取り立てた郷高取、 諸国の浪人を郷士に取り立て、郡部未開の土地を与えた原士、郷中の豪農で帯刀を許された一領一匹、などがありました。
      ⇒江戸時代の武家の一生(ライフサイクル)

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徳島藩の家臣
『御家中知行高並御役高帳 文政11年6月改』『分限帳三冊入 文政11年6月改』より藩士家名
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と) 戸井・戸田・戸村・外山・東条・遠山・徳田・殿井・殿木・殿谷・冨田・冨永・冨山・鳥山

な) 那波・奈良井・内藤・中井・中内・中尾・中川・中島・中田・中西・中野・中原・中村・中山・仲里・永戸・永見・永原・長井・ 長江・長尾・長坂・長島・長野・長浜・長町・夏目・成瀬・成田・難波
に) 二宮・仁宇・仁尾・仁木・仁田・新居・新見・西・西宇・西尾・西岡・西川・西谷・西田・西村・西守・西山
ぬ) 沼田
ね) 根来・根津・根本
の) 能勢・野上・野口・野田・野津・野村・野々村・野宮・延原

は) 馬場・萩原・橋口・橋本・長谷川・長谷部・秦・蜂須賀・八田・服部・花岡・浜・浜尾・浜口・浜田・早川・早崎・林・速水・原・ 原田・春田・春谷・春藤・伴・坂東・板東
ひ) 日永・日根・日比野・比木多・比米・飛田・樋口・樋冨・東根・東村・疋田・人見・姫田・平井・平尾・平岡・平瀬・平田・平野・平間・ 平山・広井・広岡・広瀬・広田
ふ) 二木・二村・布川・深尾・福井・福岡・福田・福地・福永・福家・福屋・藤井・藤江・藤岡・藤川・藤重・藤田・藤村・藤本・伏屋・船城・古田・古山
へ) 別枝・別苻
ほ) 穂積・星合・星野・星山・堀江・堀・堀尾・堀川・堀北・本庄・本咲・本田

ま) 真霜・真杉・真殿・真鍋・前川・前島・前田・前野・前羽・牧・牧田・牧野・槙島・正井・増井・増田・増地・待合・待田・松井・松浦・松尾・松岡・ 松島・松田・松原・松村・松本・的場・丸野
み) 三浦・三上・三木・三木田・三沢・三谷・三問・三村・三守・三森・三矢・三宅・三輪・美馬・水田・水谷・水野・溝上・満石・南・湊・箕浦・箕形・箕手・ 箕村・宮井・宮内・宮城・宮崎・宮田・宮武・宮野・宮村・宮本・宮脇
む) 武藤・六田・村井・村上・村瀬・村田・村橋・村部・村山
も) 望月・元木・本山・森・森岡・森川・森崎・森田・森野・森本・森脇・諸住

や) 八木・八島・矢尾田・矢上・矢倉・矢沢・矢島・矢田・矢野・矢部・矢辺・安井・安岡・安田・安冨・安原・柳瀬・梁田・山内・山尾・山岡・山形・山上・山川・ 山口・山崎・山下・山添・山田・山本・山脇
ゆ) 湯浅・湯川・湯村・遊佐
よ) 横井・横田・横野・横山・吉井・吉岡・吉川・吉崎・吉沢・吉田・吉積・吉成・吉原・吉益・吉味・吉見・吉本・米田・米延
わ) 和田・若林・若山・脇・脇田・渡川・渡瀬・渡部・渡辺・渡

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