第54代仁明(にんみょう)天皇 ~藤原北家台頭の足掛かり
弘仁元年(810)生 ~ 嘉祥3年(850)3月19日崩御 <在位:天長10年(833)~嘉祥3年>
嵯峨天皇の第1皇子、諱は正良(まさら)。母は橘清友の娘・嘉智子。叔父の淳和天皇の譲位を受け、天長10年(833)に即位しました。翌天長11年1月に代始により改元が行われ、「承和(じょうわ)」となります。当初、皇太子に淳和天皇の皇子恒貞親王が立てられましたが、「承和の変」に皇太子を廃されたため、第一皇子道康親王(のちの文徳天皇)が立太子しています。
承和7年(840)淳和上皇が崩御、承和9年(842)嵯峨上皇が崩御すると、朝廷内の主導権争いが表面化します。道康親王の外戚となる藤原良房は、「承和の変」を利用し政敵排除に成功します。藤原北家台頭の足掛かりをつくりました。
嘉祥3年(850)病により譲位し、その2日後の同年3月21日に崩御されました。陵は深草陵(ふかくさのみささぎ:伏見区深草東伊達町)に葬られました。