第53代淳和(じゅんな)天皇 ~平安京政治を安定へ

延暦5年(786)生 ~ 承和7年(840)5月8日崩御 <在位:弘仁14年(823) ~ 天長10年(833)>

桓武天皇の第7皇子、諱は大伴(おおとも)。母は藤原百川の娘・旅子。嵯峨天皇の異母弟。嵯峨天皇の譲位を受け、弘仁14年(823)に即位しました。皇太子に嵯峨天皇の嫡子正良親王(のちの仁明天皇)を擁立しています。これに伴い大伴氏伴氏と改姓しています。翌弘仁15年1月に代始により改元が行われ、「天長(てんちょう)」となります。

淳和天皇は良吏の登用を積極的に行い、勘解由使の設置や巡察視の派遣など地方政治の荒廃を正しました。また大規模な勅旨田を設定し、税収の増加に努めました。『令義解』や『日本後紀』の編纂が行われています。表面的には比較的平穏な時代でした。

天長10年(833)に譲位し、承和7年(840)5月8日に崩御され、陵は大原野西嶺上陵(おおはらののにしのみねのえのみささぎ:西京区大原野南春日町)に葬られました。