家督を継ぐ女性
江戸時代は「男尊女卑」といわれますが、必ずしもそうではありません。家族のみならず社会における「女性」の地位は私たちが持つ江戸時代のイメージとは違います。「女性」の役割は重んじられ、社会的にも認められていました。
その一例をあげてみます。
紀州藩の地士浦田家(仮名)は、浦田清三郎が亡くなった後、姉のいちが藩から「代々帯刀の身分」と扶持を頂きます。この地位は一時的ではなく、20数年間保持続けています。
63歳となり隠居を考えたいちは23歳となった息子の善三郎に家督を譲りたいと藩に願い出ます。ところが隠居願いは聞き届けらませんでした。※武士の隠居・相続は藩の許可が必要。
87歳となったいちは、再度隠居願いを出し、ようやく認められ、善三郎(のちに清三郎を襲名)が家督を継ぎました。
いちがいかなる人物かは不明ですが、家督は男子だけが継ぐとは限らないことが分かります。